《私の本棚 第百五十》  平成21年9月号

         「斜  陽」     太宰 治 

 明治42年、青森県津軽郡金木生まれ。昭和23年6月13日38歳で玉川上水入水死亡。6月19日は彼の誕生日で 「桜桃忌」 と名付けられた。「津軽」 の執筆は35歳の折。この斜陽は昭和22年に新潮から刊行されました。貴族の家族が敗戦を境に変貌して行く様を描いています。お母さま、かず子、直治の三人と百姓の子供の上原という文士、それに色や模様の異なる何種類かの蛇が構成していると言ってもいいでしょう。
 お母さまは貴族でありお屋敷の奥様でしたが、スープを飲むときの所作や悪戯気味に植え込みの陰で小用をして見せるなどの、平民からみればややピントの外れた行動をします。しかしその後、作者は一貫して、このお母さまは新時代に適応することができず、労働をして生活をすることは一切考えない純粋の貴族婦人として描きます。
 弟の直治は、自分の貴族という出自を敢えて破壊し、新時代に適応しようとしてもがき苦しみます。しかし、雑草のように逞しく育ってきた人間の中に混じって対等に生きる術を知りません。捨てきれないプライドや中途半端な親の財産が邪魔をして、薬物やアルコールに依存するようになります。姉のかず子は何とか新時代に適合しようとしますが、その方法は自堕落な文士上原の私生児を産んで、新しい時代に生きているという錯覚を求めます。
 蛇はさしずめ貴族の目からすれば、価値観が異なってしまった時代の象徴でしょう。細長くあちこちに這い回る蛇。木々の枝にぶら下がっている薄気味悪い蛇。理解し得ない漠然とした不安を伴う新しい時代のうねり。 お母さまは、生活感のない女性のまま結核で亡くなります。直治は貴族を抜け出せないまま自殺します。かず子は直治が自殺した朝、上原の種を宿します。上原も自分の生き方に方向を見いだせません。皆が皆懸命に生きようとするのですが、その方向を掴みきれないで苦しんでいます。      全員が太宰の化身でしょうか? 
斜陽館 前景、あんな本こんな本襖に書かれた漢詩 「斜陽」の文字、あんな本こんな本



 斜陽館 玄関(太宰は大きいと酷評、明治40年の建物、平成9年復元修復)               二階 母の居室  左から二番目の襖に斜陽の文字
斜陽館内 階段、あんな本こんな本、津軽鉄道 金木駅、あんな本こんな本




 
          二階へ上がる階段                                           金木駅 
ストーブ列車内風景、あんな本こんな本ストーブ列車 鳥瞰、あんな本こんな本


      津軽鉄道 ストーブ列車 車内         津軽五所川原駅にて 奥の方向が金木・津軽中里方面
 
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