《私の本棚 第百四十九》 平成21年8月号
「ガリア戦記」 ユリウス・カエサル 著
ローマ帝国 前51年発表。作者は勿論ジュリアス・シーザーの事です。前100年にローマに生まれました。戦記を書いたのが前51年。「賽は投げられた」
と言ってルビコン川を渡ったのは前49年、「ブルータスお前もか」 という言葉が発せられたのは前44年です。共にあまりにも有名な行動と言葉です。 大雑把には、ほとんど目立つことがなかったカエサルが次第に頭角を現し、ガリア平定という偉業を成し遂げ、ガリア戦記で人気を博し、ルビコン川を渡って内戦へ。あまりにも強大となったカエサルの権力を恐れた勢力により暗殺へと移ります。 ガリアというのは、大まかに言えば今のヨーロッパでローマ帝国、スペイン、ドイツに囲まれた地域を思い浮かべてもいいのではないかと思います。その中に多くの部族が覇権を争っていました。ローマ帝国に隣接する地域を属州とした後、そこを脅かすガリアの部族が現れるとこれを撃退していましたが、カエサルはついに平定します。ガリア戦記の価値は次のようにいわれています。 1、著者そのもの。歴史上の英雄の中で征服事業を自ら記した唯一のものである。 2、歴史資料としての価値。実戦における兵士の配置や動き、当事者の言動を知ることができる。当時のガリアにはも のを書き残すことがなかったので、この戦記が唯一の資料であること。 3、文章がわかりやすいという魅力。当時のローマ第一の文章家であったキケロでさへこれを絶賛した。カエサルはこの中で自分の事を 「私」 とは表現せず、他人の目線で 「カエサルは…○○をした」 等と記している。つまり自画自賛でなく、客観的に表現しようとつとめている。ローマ市民は未知の土地ガリアについて、旅行記でも読むようにむさぼり読んだといわれています。 負け戦も書きながら、戦功を巧みに描き、土地や部族の様子も含めて臨場感溢れるものになっています。英雄は実戦のみならず人心掌握についても、兵士だけでなく後方の一般市民をも完全に味方につけたという事でしょう。 |
蓮の花 |
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