《私の本棚 第百十一》     平成18年6月

    「一家に遊女もねたり萩と月」 
                 おくのほそ道より  松尾芭蕉 

元禄二年 (1689年) に、一寸した思いつきで曾良と奥羽長途の旅に出かけた芭蕉は、紀行文と俳句を残しました。その中の一句が冒頭の句です。

 その前文に 「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云う北国一の難所を越えてつかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔てて面の方に、若き女の聲二人計ときこゆ。…後略 」 聞くともなく聞いていると、伊勢参りをする新潟の遊女らしい。男 (父親?) が二人の業の深い身の上を嘆いている。いつの間にか寝てしまって朝になると、ここから引き返す男は、あまりにも心細い (難所を越えてきたからか) ので、適当な距離を空けて歩かせるから、坊様達 (墨染めの衣を着ていた) の情けで、道連れをさせてやって欲しいと泣きながら言う。気の毒だが我々は普通の旅ではないからと断って出発したが、いたわしさが止まなかった、と記しています。

 また作家水上勉は 「親不知」 という短編を記しています。その中に古老から聞いた話として次のように書いています。 「越後には、親不知という恐ろしいところがある。海は荒波にいく尋もの広い穴をかくしている。その穴というのは崖の下を百尺ほどさがったところにあいていて、奥の方へゆくにしたがって広くなり、おどろおどろした海水が充満していて、遠くまで入り込んでゆくと、信濃の国の善光寺の下へ出る・・・誰もその穴へくぐりこんだ人はいない
 ・・・それはおそらく、よみの国に似ている・・・ よみの国だから、白骨やら石ころやら、位牌やら、机やら、鎧やら、いろんなものが流れ込んでいて、それらの物は大昔から入りこんだまま海へ出てこない・・・朝鮮から、ロシヤから、佐渡から、能登から・・・・海流が流しこんだ、それらの種々雑多の物が、充満している。・・・親不知というところは、その穴の上にある。波が高く、山がそそり立っているのはそのためである・・・よみの国の上に出来た淋しい村だ・・・」  その話は荒唐無稽な作り話に違いはないのですが、それでもひょっとしたらという思いを抱いていたと言っています。 
親知らず、天険の波打ち際、あんな本こんな本





 百b下の波打ち際は往時の道

 (石の洗われる音が聞こえてきます) 
 
親知らず、天険の断崖、あんな本こんな本






  親不知の最難関 「天険」 の断崖
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