《私の本棚 第百二十六》 平成19年9月
「三 昧」 仏教用語
三昧という言葉は、どちらかといえば悪いイメージの方が強いでしょうか。第86号に一行三昧という言葉を紹介しました。比叡山延暦寺には荒行がいくつかあります。その中に 常座三昧、 常行三昧 があります。常座三昧は、90日間眠気を覚ます為の歩行、食事、トイレ以外は結跏正座して堂籠もり。常行三昧は90日間、一日20時間以上念仏を唱えながら堂内を歩き続け、立ったまま2時間以内の仮眠が許されます。延暦寺にはありませんが、究極的には即身成仏をした僧も多数いました。 人生は長く、歳を重ねるほどに数え切れない苦楽を経験をします。楽しかった事はいつの間にか記憶から消え去る、「刹那」 です。耐え難いと感じるほどの苦悩は未経験の苦であり、乗り越えれば懐かしい思い出となる 「劫」 です。乗り越えてきた程度の苦は最早 「苦」 ではありません。単なる日常の諸事になってしまうのです。 人間は誰しも楽をして生きたい。毎日を楽しく生きたい。しかし、ふと我に返ったとき何かが残っているかというと何もない。楽しい思い出にはそれなりの意味があるし、なければ生きていけない。しかしそれだけでは人に深みを与えはしない。日常生活においても、楽しさとともに苦を隠し味のように受け容れてきた人、自分自身と正面から向き合って生きてきた人には、手軽に得られない本物の味わいがあります。そんな風に年を取りたいものです。 |
比叡山 延暦寺梵鐘 平家物語 |
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