きょうは小中学生の皆さんの姿を思い浮かべながら書いてみよう。
皆さんは除夜の鐘を聞かれましたか。聞いただけではなく、眠さをこらえながら、あるいは、大いに元気よくつきに行った人もいるでしょうね。平等院や万福寺の鐘の音もかなり遠くまで届いていたはずです。
除夜の鐘は108回つくというのは有名ですから、誰でも知っているはずです。人間には煩悩が108個あるからそれを消すためと言われています。しかしその煩悩を一つずつ教えてと言われても答えられる人は少ないでしょう。折角の機会なので調べてみました。
諸説あるようですが、主なものは次のように言われています。
除夜とは旧年を除くという意味で、大晦日の夜を指すそうです。そして、一年のうちに作った罪やその心を悔い改め、煩悩を除いて新年を迎えるという意味があるようです。なるほど、でも 「百八つの煩悩」 が何なのかが分かりませんね。それは次のように言われています。
煩悩とは身体や心を惑わすような感情で、それでいて捨てようにも捨てられない感覚。
どのようなものがあるかというと、六根 (眼・耳・鼻・舌・身・意) と六境 (色・声・香・味・触・法) があって、六根は身体全体の働き、六境は身体に入って人間の心を汚すものと言われています。従ってそれが対になっています。眼−−色、 耳−−声、 鼻−−香、 舌−−味、 身−−触、 意−−法で、六根に三種 (好・悪・平 )を掛けて18。六境に三受 (苦・楽・捨) を掛けて18。 足して36に三世を (過去・現在・未来) を掛けて108になるということのようです。こう聞いても私もよく分かりません。しかしとりあえず人間は 「煩悩」 のかたまりのようです。
さて、少しは煩悩が薄れたような気がしたところで、去年一年間を振り返ってみよう。何か良いニュースがあったかも知れないが、嫌なことや情けなくなるニュースの方が多かったような気がする。特に辛いというか悲しいニュースは、自ら死を選んだ子供や先生のニュースです。どうしてこんな世の中になってしまったんだろうか。小中学生の年代の子供が身近にいないので分からないが、イジメの実体は本当にひどいんだそうです。大勢で一人の人間をいじめるのはそんなに面白いの?あるいは、いじめることでしか優位に立てないの?そんなに自分に自信が持てないのかな。大人の世界にでも似たようなことはある。実力がなく自分に自信が持てない人間は、他人をおとしめるような事を言ったり強がったりして、相対的に自分を良く見せようとするものだ。そんなチマチマしたことを子供の頃からしていて、可哀想だね。何でも他人との比較で勝った負けたではなくて、なにか楽しめることはないのかな。人より多少劣っているところがあって何が悪いのかな?人よりわずかばかり出来が良くてそれがどうしたの?その程度の人間はこの世に掃いて捨てるほどいるよ。一歩足を外に踏み出せばそんな思い上がりは木っ端みじんだ。相手の立場に立って考えて見ることのできない人間は薄っぺらだ。だから将来どんなにお金持ちになれても、どれだけ出世できても、どんな人と結婚してもその幸せは薄っぺらで見かけだけだ。
今の小中学生は、家族以外の大人から叱ってもらえるかな?きっとそんなことはしてもらえないよね。その理由が分かる人もいれば分からない人もいると思う。普通のおじさん、おばさんの言うことも、素直な気持ちで黙って聞いてみよう。きっと何か知らなかった事に気づくことがあるはずだ。
あれっ、段々説教じみて愚痴っぽくなってしまいました。きっと私が一番たくさんの煩悩を持っているのでしょう。私は今、スーパーロングサイクリングにはまっています。毎年一回、年甲斐もなく300〜500qの不眠サイクリングをします。年一回の遠足のために30回ほど練習をしています。一年間におよそ2000q走ることになります。走る速さに自分では納得しています。しかし、もっと速い人はいくらでもいますし、遅い人もいます。だれかと比較してどうということではなく、楽しんでいるのです。初めての頃はママチャリにも追い越されたことがあります。自分なりに努力して先週より今週、今週より一ヶ月後と速くなってきたことがスゴイ (自画自賛) と思っています。それもこれも、何も分からないときに人のアドバイスを聞き、更には本を読んで研究したことの成果です。自分の心を開けていれば、必ず教えてくれる人が現れます。
と、随分格好良いことを言っていますが、実際はなかなかそうはいきません。世間には 「一年の計は元旦にあり」 を実行している方がたくさんおられるでしょう。私の場合は、「一年の反省は大晦日にあり、元旦からはまた煩悩に悩まされ」
ています。
|