《私の本棚 第百十四》   平成18年9月

         「和
解」   志賀 直哉  

志賀直哉の生い立ちを辿ってみよう。

 

 3歳(明治18年)祖父母の手に委ねられる。

・ 13歳で実母が死亡、父再婚。

・ 18歳、渡良瀬川の足尾銅山鉱毒事件で農民に同情するが、これが原因で父と衝突。これは、銅山経営者
  の古河市兵衛と実業家である直哉の父が親しかった故。

・ 25歳、女中との結婚を反対される。

・ 26歳、東京帝大中退。

・ 30歳、小説家としての自立と家からの自立を目指し尾道へ行く。

・ 31歳、長編小説は書けなくて家に戻る。この時の執筆は、後の暗夜行路に繋がる。 

 
 家に戻るということは二つの意味での挫折。一つは小説家としての、もう一つは父からの自立。この時期挫折感のため、ぼんやりと歩いていて路面電車にはねられて大けが。このことは 「城崎にて」 に書かれている。

 和解の相手は立派な家柄で実業家の父。家柄ゆえに幼くして祖父母に育てられるという、子供にとっては陰の部分。文面から直接的ではないが、超えたくても超えられない父の大きさが伝わってくる。足尾銅山鉱毒事件で農民の支援をしようとして父と衝突。結婚に反対されたこと、小説家になることに反対されたこと、重大な自分なりの決意をことごとく反対される。自立しようと東京から尾道へ転居するが小説も書けず、経済的にも行き詰まったこと。東京へ戻りぼんやりとしていて、路面電車にはねられる程の挫折感。これらの事柄は、「清兵衛と瓢箪 (第一分冊、12号、1998年3月)」 「城崎にて」 「暗夜行路(第一分冊、30号、1999年9月)」 などに書かれています。

 時が経ち、二人目の子供ができた頃を境に歩み寄りがおこる。ついには順吉 (直哉) が折れて和解する。和解にはその前提に衝突 (喧嘩) があるものですが、作品からは衝突は感じられない。この中に見る衝突と和解は、昨今の事件のような幼稚さは感じない。親子がお互いを認め合うことの難しさ (衝突) と上手く収める知恵 (和解)。
 

志賀直哉、奈良県、書斎、あんな本こんな本




 志賀直哉 

 奈良、旧居書斎

 
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