《私の本棚 第百四十四》   平成21年3月号


    「病床六尺」   正岡 子規 

 明治三十五年、三十五歳、五月五日から書き始めた文章です。愛媛県松山中学中退、野球という言葉を作ったのは有名です。
人生最後 (九月十九日没)、 六年余り病の床に臥せっていた時に書きました。体を動かせない反面、思考は明晰。六月二日には、悟りとは平気で生きていることと書き、二十日には、「身動きができなくなってからは精神が煩悶をおこして絶叫、号泣、誰かこの苦痛を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦痛を助けてくれるものはあるまいか」 と悲痛な心情を吐露しています。 七月十六日には、新聞を家族の女に読み聞かせてもらうが、フリガナの無い新聞は読めないから、女にも教育が必要と持論を展開。二十四日には、家事の片手間に看病は難しいから、炊飯会社設立という話には賛成などという俗事を交えて、水彩画も描いています。
 八月二十四日には、この状況でこんな軽妙な文章が書けるのかと思わせるくらい、落ちの付いた笑える文章を書いています。


 
 (以下2012年7月16日追記)
余談になりますが嘘のような本当の話をご紹介します。
祗園祭りの様子を見たくて日中に四条通りまで出かけました。帰途京都駅までバスで移動中の事です。大学生らしい女性二人連れの会話が耳に入りました。関西風でも無ければ関東風でも無い言葉遣いでした。

「今、正岡子規の本を読んでるけれども」  ここまで聞こえた時点で、病床六尺だなと思いました。言葉は続いて
「題名は忘れたけれども」  え?今読んでる本の題名を忘れたんかいなと思っていると、案の定 想像は正解で
「何か四字熟語みたいな題で、病気で寝ている時になんやかんや言っている・・・・・・」 

 ここまで来るともう彼女達の会話は耳に入らなくて、嘆かわしい思いと一体どこの学校へ行ってるのか、入学出来る学校があったのか、卒業して 「大卒です」 と言うつもりなのかという複雑な気持ちでした。笑えない笑い話ですよね。
 もう少し本を読んで欲しい。人生は一回切りなのだしどれ程波瀾万丈の人生だったとしても一通りの生き方しか出来ないのだから、せめて小説の中から違う人生や考え方を学びとって欲しいと思います。
道後温泉、坊ちゃんの湯、あんな本こんな本



 道後温泉

 坊ちゃんの湯


 
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