平成21年(2009年)正月閑話

                  か た づ け

◆年末はどこの家庭でも何かと忙しい。日頃は行き届かない所の掃除もしなければ、障子の貼り替えもしなければなどと思うと、結構落ち着いていられる時間が無い。とは言っても、傍から見ると随分暇そうに見えるらしいから、忙しいと思っているだけなのかもしれない。
子供の頃は、ご近所皆競い合うように障子を貼り替えていたのを思い出す。寒い日に、外でたわしできれいに洗ってから乾かす。記憶にあるのはそこまでだが、その後は家の中で貼っていたのに違いない。
私も不器用でないふりをしながら貼り替えをする。新聞紙を敷いて、桟だけになった障子を置いて刷毛で糊付けをする。
「お前、そこ糊つけ過ぎやろ」と言うと、「お父さんこそ、新聞紙の上に糊が溜まってますよ」 と注意をされる。
置いた紙が斜めになったとか、足りなくなって継ぎ足す必要があるなど、擦った揉んだの挙げ句どうやら仕上がる。じっくりと見なければ申し分なさそうだ。
 一応合格点をつけておこーっと。

◆さて次はどこを掃除しようかと思いながら、ふとアルバムが目に入る。長い間開けたことが無い。繰ってみると、秋祭りのおみこしの側で何かをポケットに入れようとしている写真がある。この写真は撮ってもらった時の記憶が残っている。おやつのパンをもらった時に、持って歩けないので、前掛けのポケットに入れた瞬間を撮影されたものだ。前掛けを着せられたときに恥ずかしかったこともあり、ばつの悪そうな顔をしている。写真ができあがってから、その様子が可笑しいと兄弟から笑われたので、記憶に残ってしまったのだろう。四歳頃だ。
あの頃は紙芝居屋さんも大繁盛だった。拍子木を打ち鳴らして子供を集める。「只見はあかんでえ」 と言って、子供たちに五円・十円の水飴を買わせたものだった。
 変わったコマがある。これは二十三歳頃に友人と津山へ行ったとき、自分用の土産で買ったもの。当時は中国自動車道が無い時代だったので、長い時間をかけての旅行だった。奥津温泉に泊まったのだが、宿の前には野生の猿がいた。翌日は津山へ行ったが、橋の上を歩いていたことを思い出す。独楽を買った土産物屋さんには、それは可愛らしい店員がいたな〜。 津山といえば、更に以前、入院しているときに ・・・ ・際限なく広がっていく。
 ふと時計に目をやる。家を買った時にお祝いとしてSさんからもらったものが正確に動いている。もう一つ玄関に、Iさんから贈られたタイプの違う時計がある。これもしっかりと働いている。机の隅には毎日使う竹製ペン立てがある。三十七〜八年前土産にもらったものだ。
あれ、引き出しのこんな所にも集合写真がある。えらく角張っているなあ、若かったんだと懐かしい。別の箱を開ける。何が入っているかは分かっている。幼稚園の修了證書 (どういう訳かこれが一番立派)、入学証書、通知簿、卒業証書、辞令、研修修了証、合格証書等の紙類だ。自分の生き様であり捨てる訳にはいかないという意味で、大切なものだ。通知簿を開けてみると、悪くはないがさりとて良くもない。要するにフツウ。先生方はお元気でおられるかなあ。当時のお顔が浮かんでくる。
 何故かしら時系列に重なっていなくてばらばらだ。エクセル作品の賞状も混じっている。ついでに並べ替えておこう。 横には出版社から送られてきた月刊誌が、年毎に厚みを増して重なっている。読者投稿で自分の事が載っている。遊びだが、まぎれもなく一級品お宝物。頂戴した洛タイの正月号も、同じく宝物。
 ここにもアルバムがある。誰か知らないが不細工な女の子が写っている。よく見ると…あっ!すまん!、我が娘やった。こっちはちょっと別嬪さんやなと思って目をこらすと、なんや女房やがな。アホくさ。

◆こうしてかたづけをしていると、何の変哲もないものから思い出が広がってくる。一枚の写真から、遙かな昔へ心が漂ってゆく。他人にとってはつまらない物も、自分にとっては大切なもの。贈られたものは、くださった方の思いや情景が浮かんでくる。時にはそこに付いた小さなシミでさへ、果てしない広がりの端緒にもなる。写真やものを眺めていると、自分が生まれて年を重ね、結婚・子供の誕生と成長の過程にあった出来事を次々と思い出す。 しかし、よく考えてみると、思い出の品々の扱いは、他の人はどうしているのだろう。子供が小さい頃に撮った写真は、きっと子供にとっても思い出のものだろう。家族にとって共通の思い出を語る品は、等しく大切なものに違いない。或いはまた、普遍的な価値を持つ品はやはり誰にとっても大切なものになるだろう。
 問題は、自分でも何となく捨てがたいとか、捨てたくないというモノをどうするかだ。壊れたペン、ばらけそうな本、くたびれた鞄、捨ててもいいがまだ履けそうなお気に入りの靴、等々。自分にとっては価値があるが、他人にはたいした意味が無いようなモノが沢山ある。困ったことに、自分で処分できる間は置いておきたいのが人の常。つまるところ、結果的に自分では処分できないことになる。自分でできなかった事を、誰ならできるのか。その立場に我が身を置き換えて考えると 「何で自分で始末しておいてくれなかったのか。俺だってゴミにはしづらいよ」 と、文句の一つも言いたくなるに違いない。

 いつまでにどの程度のモノを片付けておかなければならないかということは、小さな人生の大きな問題だ。そんな風にあれこれと忙しくかたづけをしていると、階下から女房が 「お父さん片付きましたかぁ」 と呼ぶ声がする。
「今かたづけてるぅ〜」 と、慌てて散らかした物を元へ戻した。年の瀬は本当に忙しい。

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