《私の本棚第百三十一》    平成20年2月

        
   人生百に満たざるに    寒山拾得  

   人生不満百
   常懐千載憂
   自身病始可
   又為子孫愁
   下視禾根下
   上看桑樹頭
   秤槌落東海
   到底始如休

人生百に満たざるに
常に千載の憂いを懐く
自身病始めて可ゆれば
又た子孫の為に愁う
下は禾根の下を視
上は桑樹の頭を看る
秤槌東海に落ち
底に到って始めて休むことを知る

          

人の一生は百年にも満たないのに、常に何年もの憂いを抱いている。
自分の病がやっと治ったと思ったら、今度は子や孫のことまで心配してやらねばならない。
たとえば稲の根本の育ち具合を調べるのに下の方を覗いたり、桑の木の伸び具合が気になるので上の方をにらんだりするように、
色いろと心配するが、分銅が海の底に沈んでしまうように、もうこれでおしまいだと諦める。

 本当に身につまされる詩です。親子の関係において、「子供」 の立場ほど良いものは無いように思うのは私だけでしょうか?。親というのは本当にありがたい存在です。その親が病床に在っても、そこに命があるというだけで安心できます。
 自分が親であり子供でもあるという立場であったのに、ある日親という立場しか無いことに気づいた時、在りし日の親のような存在 (決して優れているとか何とかいう意味ではなくて) になれるかしら?と感じたりもします。 

 それが 「親」 というものだと思います。情けないことに、時にはあり得ない親のニュースを見ることもありますが......
金沢、茶屋街、あんな本こんな本





 金沢・茶屋街
 
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