《私の本棚 第百二十一》    平成19年4月

     「男鹿半島」   島木健作 

 1903〜45 札幌生まれ。この文章は昭和13年 (1938) に発表されたもので、その1〜2年前に男鹿半島を旅した時のことを書いたと思われます。

現在は男鹿半島を一周する道路がついていますが、当時は門前町(五社堂)あたりまでで行き止まりだったようです。その先は船で行くか、山道を歩いて行くしかなく、作者は山道を三里歩いて戸賀加茂へ出、漁師に 「えぐり船」 で金ヶ崎まで送ってもらい一泊しています。当時の金ヶ崎は陸の孤島に近い場所でした。宿の主人は水産学校をでたインテリで、林芙美子のご主人も宿泊したことがあるといいます。(現在、金ヶ崎温泉があります) 翌朝浜に出て水の美しさに驚いたそうですから、余程の透明であったと思います。帰る足は、向こうを通る定期船を呼び止めて乗せてもらったとあり、この地の辺境ぶりを伺い知ることができます。その後真山神社や寒風山へ回って、生剥げ (ナマハゲ) に関しても書いていますが、当時の裸電球でさへ 「今の明るい電灯の下では凄味の多くを失ってしまった」 と感じたようです。

 私は道路事情の良くなった平成18年5月5日に、定期観光バスで半島巡りをしました。この日は異常気象で大変寒く、ちょっと大げさかなと思いつつ携行していた毛糸のセーターを着た上にキルティングのジャンパーを重ねてちょうど良い日でした。入道崎では空と海の境が明瞭でなくどんよりと風が強い日でした。ほんの少しだけですが今まで知らなかった土地の何かに触れた気がしました。雪の吹きすさぶ時にこの場所で津軽三味線を聞いたら良いだろうなと思いながら海を眺めていました。
 
男鹿半島、えぐり船、真山神社、あんな本こんな本





 えぐり船

 真山神社保存

 
男鹿半島、入道崎





 入道崎
 
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